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歴史
  
昭和40年ごろの亀の湯(旧) 昭和50年に消失
吉田温泉は天文二十三年(一五五四年)霧島の大噴火により昌明寺村山麓に大量の湯が湧出した所ある日矢傷を負った牝鹿が傷を癒していたころから鹿の湯という名がつけられました。島津家の大守義弘公が戦傷病者をこの湯で治療させていたことから湯治場となり現在にいたっています。
亀の湯の由来は温泉の床が湯の成分により亀の甲羅のような姿をしていることから呼ばれるようになりました。
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